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E-3はボーイング社が製造した早期警戒管制機(AWACS機)。愛称は歩哨・哨兵・見張りの意味をもつセントリー ()。初飛行は1975年。 == 開発 == アメリカ軍は、大型の航空機にレーダーを搭載した空中早期警戒に高い関心を持っており、早い時期から早期警戒機を運用していた。ベトナム戦争の時期には、早期警戒(空載レーダー)には(ロッキード コンステレーションの派生型)を運用していたが、EC-121の管制能力は限定されており、指揮統制用のC-130Eの運用のほか、SAGEではデータリンクを通じて地上施設が指揮統制を行なったりしていた。技術発展に伴い、早期警戒のみならず指揮統制についても、同じ機体で行えることが求められるようになり、1963年には、EC-121の後継機の検討が開始されている〔Wilson 1998, p. 72.〕。技術発展を鑑み、新型機のレーダーにはグランドクラッターの影響を受ける低空飛行機体をも探知できるルックダウン能力も求められた〔Eden et al 2004, p. 92.〕。開発にはボーイング社、マクドネル・ダグラス社、ロッキード社が候補となり、1966年7月にはロッキード社が外されている。1967年にはレーダーが並行して開発されることとなり、ウエスチングハウス社とヒューズ社が競争開発にあたることとなった。陸地上空におけるレーダー(Overland Radar Technology,ORT)の開発は、EC-121Qを改装し、搭載・試験を行っている〔Davies 2005, p. 2.〕。ボーイング社は当初、専用の機体開発を検討していたが、十分な性能を有していた707の改設計機を用いることとした。改設計案としては、前傾した垂直尾翼の先端に円盤状のレドームを設置、航続時間延長のため、エンジンはTF34を8基装備する案も検討されている〔。1970年7月にマクドネル・ダグラス社のDC-8改造案を破り、ボーイング社の707改造案が採用されている。まず、競争開発されている空載レーダーを比較するため、2機の試作機(EC-137D)を製造することとした。試作機は、量産型の要求である14時間の航続時間を必要としなかったため、搭載エンジン数は707と同じJT3D4基のままとなった〔。 試作機EC-137は1972年2月9日に初飛行している。3月から7月にかけて、2種のレーダーの搭載飛行試験を行っている〔。試験の結果、1972年11月にウエスチングハウス社製のレーダーが採用されることとなった〔航空ファン別冊 No.32 アメリカ軍用機1945~1986 空軍編 文林堂 P118 雑誌コード 03344-8 1986年〕。ヒューズ社もF-15搭載のAN/APG-63を開発するなど優秀な技術を有していたが、ウエスチングハウス社はデジタル・パルスドップラーレーダーを開発し、実用化させた。このレーダーは、クラッター処理に優れており、低空飛行物体の探知も可能であるほか、水平線越えモード(BTHモード)では長距離捜索のみならず船舶の探知も可能である〔。 1973年1月26日より全規模開発に移行し、前量産型3機の発注が行われた。コスト削減のため、航続性能要求が緩和されており、エンジンはJT3Dが4基のままとなった〔〔Taylor et al 1976, p. 246.〕。これらの初飛行は1975年2月である。 量産型の完成は1976年。アメリカ空軍では1977年から就役している。アメリカ空軍のほかは、NATOの共同運用のほか、エンジンをゼネラル・エレクトリックとスネクマ共同開発による新世代のCFM56に換装した機体がイギリス空軍、フランス空軍、サウジアラビア空軍で使用されている。このほか、パーレビ体制下のイランが1977年にE-3を7機発注し、1981年までに配備を完了させる計画だったが、1979年のイラン革命によってパーレビ体制が崩壊したため、契約は全てキャンセルされた〔The Military Balance 1978-1979〕。 改造母機として利用しているボーイング707の生産数にはこのE-3として製造されたものも含まれており、1981年以降はアメリカ海軍向けのE-6と共に軍用型しか生産されなくなっていたが、同機は1991年をもって生産終了となった。そのため1991年にE-3導入を検討していた日本の航空自衛隊はAWACS導入に別の母機が必要になり、翌1992年ボーイング社が提案したボーイング767を採用し、E-767として4機製造された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「E-3 (航空機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Boeing E-3 Sentry 」があります。 スポンサード リンク
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